かんたんは複雑 ふくざつは簡単

昨夜NHKで「ロボット×リハビリ -可能性を切り開く!-」見ました。技術番組ではなく福祉番組です。

出てきたロボットはロボットスーツ『HAL』

今までこのロボットを力持ちになれちゃうスーツや介護を補助するものだと思っていました。それは誤解でした。

脳梗塞などを患って動けなくなった片足のリハビリを補助するロボットとして活躍していました。

動きを忘れてしまった足をロボットが誘導し、脳が刺激されることでリハビリの効果が何倍にもなるそうです。動けないと思っていた足が動き、それを見ることで自信や希望にもつながるそうです。

技術は時として人間の持っている力を発揮させない方向に動いてしまうときがあります。その分岐点が何かずっと疑問に思っていました。それは、手放すことを前提な設計にあるのかもしれません。

もしずっと身につけることが前提だとしたら、喜びはさほど大きくなないはずです。リハビリで前よりずっと歩けるようになった女性が、散歩の途中で持っていた杖を母親にあずけ数年ぶりに自分の足だけで歩き出しました。彼女はこの公園を走れるようになるのが夢だそうです。

この技術が進化して、スポーツや芸術分野で活躍するようになったら・・・。難しい動きも補助してくれるので簡単にできるようになるのでしょうか?

立つ、歩くをは実はとても複雑です。それらを経験したことがあるから、できるようになったとしたら、やはりできないことになります。

いやでも近道には、なるのかも。

いやいや、でも身体は人それぞれに最適な動きがあります。それはコピーでは身につけることができないはず。うーむ。

グルグルと妄想中です。

これからの神話

「今までに見た事がないから素晴らしいわけではない。」ダンカン・スピークマン(アーティスト)
メディアアートを見る時に、これは誰々がやっていたらか価値が低いと漠然と思っていました。たしかにそうなのです。本質は何が新しいかではないのです。

DIGITAL CREATIVE CONFERENCE「ジャンルとコミュニティの拡張」 と「テクノロジーとアート、その未来を考える」を聞いていまいろいろと考えています。
今まで聞いたどのメディアアートの講演より刺激的でした。

35歳以下の日本人男子は幼少期から長時間ゲームをやったはじめの世代です。彼らはどうやら今までとは違う考え方を持っています。心に[   ]という空間があるようです。
このなかにどんな言葉をあてはめてもかまいません。とりあえずシロと呼びましょう。私は残念ながらゲーム漬け生活を送ったことがないので、実体験として語ることができません。
幼少期に本に浸る時間が長かった人は[    ](茶色・仮)という空間を持っています。外で走り回っても一緒です。[    ](緑・仮)

[    ](白)を持った人がアーティストになると、どんな作品をつくるか、何を楽しいと思うか。神様も知らないと思います。
http://bc-dcc.tumblr.com/post/2908829495