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映画 Archive

昭和30年の思い出

向田邦子のエッセイや小説の世界は私の一部になっています。
昨日その時代の記録映画を見る機会をえました。
昭和30年代はわたくしの生まれる20年前です。タイトルの思い出というのは嘘になります。笑
連続したじかんの流れとして20年は長い時間ではないはずなのに、昭和30年を私は現実として自分のなかで落とすことができません。
フィルムのモノクロメディアでなかったどうなんでしょうか。
子どものとき父が誕生日に撮影してくれたベーカムのざらついた映像だったら、空気を感じることはできるのでしょうか。
いまのハイビジョンで撮っていたらどうなんでしょうか。

それともその時代を感じるのは、その時代を生きたものだけの特権なんでしょうか。
ガスも水道も下水道もまだなく、今と比べるとどうしようもなく不便。
しかし人々は暮らしを楽しみ未来は明るいと信じていた時代。
そんな時代を自分の延長線上に感じるにはどうしたらいいのでしょうか。

【おかあさんの民主主義ー岩波映画に見る昭和30年代のくらしー】
「村の婦人学級」羽田澄子監督
「町の政治ーべんきょうするお母さんー」時枝俊江

このふたつの映像は女性が監督であること、女性の勉強という共通の視点など共通点が多々あります。
私はこのふたつを見比べた相違点が面白く感じました。
村と街、着物と洋服、核家族と大家族。
二人の監督は今でもご健在で素敵に歳をとっていらっしゃいました。

昭和30年代の女性の顔はいまの人の顔とはまったく違います。
途上国に行ってそこの子どもたちの顔を日本人の子どもの顔が違うのと
同じくらいの違いがあります。
伏し目がちでぼそぼそと丁寧に話す言葉には、個性なんていうものよりも素敵なものが隠れているように感じました。
洋服からもそれを感じます。既製服でなく、その人の身体にあったサイズや形なのです。

去年の春ベトナム旅行で服をオーダーしました。
ワンピースが一着3000円でした。
いつか夏のワンピースを自分でつくれるようになりたいと映画のなかの女性たちを見て思いました。

女性であるということは何か、肩ひじをはらずゆっくりと考えられそうです。

アトラクションの日常

遊ばされることが苦手です。
人によって作られたものは、いつも舞台の上にあがらされて踊らされている感覚を覚えます。
一緒に踊りたくて踊る日常は来るのでしょうか。

アトラクションの日常

長谷川一(著) 目次

この本は普通の本や論文だと思って読んではいけない本でした。
あとがきに、その旨が説明されていました。
もちろんわたしはドジなので、最後によみました。

わたしには大きくわけて3つのカテゴリーで読めました。
読んだ人によって、このカテゴリーがいかようにもできる本です。
頭のなかで編集していく感じだろうか。
長い時間をかけてひとりの人間の行動や考え方を見た、そしてじっくり話した。そんな本でした。
サービスをしない潔さを理解するまでに、かなりのページ数かかりました。
あとがきは先に読むものですね。
編集者の長谷川さんのことだから「普通、先でしょう。」って言われてしまいそうです。
わたしのカテゴリーはこれです。
1、映画、ディズニーランド分析
2、名古屋人からみた都市論
3、いまを、日常を生きるすすめ

私は2、3のカテゴリーでわけられる部分がとくに共感しました。

ここだけの話、私は名古屋人が嫌いです。
解像度が荒いと感じるからです。特に人間や自然に対して。
長谷川さんが名古屋人だと知ったのは
著者の説明の“名古屋市生まれ”の一文でした。
「うわぁ〜…。」と思い読むべきか悩みました。
名古屋出身と聞いただけで、心のなかで三歩さがることにしています。

長谷川さんの丸いメガネと、笑顔のなかのするどい眼差しを思い出した。
それに先日ごちそうになったポルトガル料理の味も。
この本面白いから読みなと貸してくれた人の顔もちらついてページを開きました。

この本は東京在住の名古屋人による名古屋分析として読むと本当に面白い。
【買い物する】〜【複製する】までは、名古屋の街と人を思い出しながら読みました。
名古屋人による冷静な都市分析本として、まれにみる的確な文章だと感じました。いや違いますね、東京在住の名古屋人の分析ですね。

たしかに名古屋は日常がアトラクション化しています。
街は人を育てる。スーパーマーケットに買い物にいくか、商店街に買い物に行くかそれだけでもちがう。
名古屋はスーパーでの買い物はしやすく、デパートはどの街よりも歩きやすい。しかし、人間関係も消費の対象でしかありません。
他の都市が違うとは言わないが、名古屋が飛び抜けて先に進んでいます。
消費を目的に生きるには最高の街だが、買い物以外行くべき場所がない都市です。

忙しい人、立ち読みで終わらせたい人にお勧めなのは
【夢みる】の章です。
けっして心地よく読める文章ではありません。
しかし、今の私にとって必要な文章でした。
くりかえされる日常をどう捉えるかで人生は違います。

わたしはいまアーティストとしてアトラクション化された日常のなかに入り込んでいき、アートとして存在できるのかを考えています。それに言葉をくれたのがこの本です。
嘆いてもしかたがないのです。極端に偏ってしまった日常をどうやってとりもどすかアーティストとしてできることをやろうと思っています。

この本で、あれ、これ違うじゃないかと思ったのは
「ディズニーランドのばあい、その枠組みとなるのが「映画」なのであり 」のくだりです。
たしかに映画を枠組みとしてディズニーランドは作られたけれども、いまそのアトラクションに染まる人たひが映画を見てからくるのでしょうか。
感覚的にちがうところに移っているように感じます。
キャラクターグッズや、宣伝に出てくるミッキーのほうが 夢の世界をつくっているのではないでしょうか。
もう筋道がなくても夢の世界への道は開かれています。
過去の映画や文化に固執してしまうと、アトラクション化された日常しかしらない世代の先を見失ってしまうように思います。

アバターもえくぼ

もう話題の中心ではなくなってきてはいますが
「3D元年の幕開け的になった映画」などと言われているアバターを見ようか
迷っているあなた、見るべきです。
ひとりでなく、気さくになんでも話せる友達か恋人か家族と行ってください。
私がおすすめなのは2200円のアイマックスシアターで見ることです。
アバターの3Dの方式は4つあります。
メガネの色で変えるもの、シャッターで変えるもの、偏光で変えるもの。
どのみち大きくてぶかっこうなメガネをかけることはまちがいありません。
アイマックスシアターだと椅子がよくて、音がよいので長時間のこの映画にはおすすめです。

しかし映画の内容は期待して行ってはいけない映画です。
期待しないで見ると私のように映画館でひとりだけ泣くことができます。
どこで泣いたかは恥ずかしいので秘密にいたしとうございます。
となりに座っていたおねいさんたちは、途中でケータイをかぱっと開けました。
もう嫌になってしまったのですね。
ジェットコースターに一度乗ってしまったら降りるわけにいきません。
それと一緒です。映画を途中でやめるという選択肢は、つれがいる場合はないのです。

見終わった後で物語の構造を考えると、ジェームズ・キャメロン監督が日本のアニメをよく研究していることがわかります。
特に宮崎駿監督ものはお好きだということがよくわかります。
ナウシカやもののけ姫などはスタッフ全員が研究したのでしょう。
沢山のハリウッド映画のオマージュでもあります。
寿司とハンバーグとみそ汁とニンニクレタスチャーハンが一皿にもりつけられた映画に
何も伝えるべきものがないことは誰でもわかると思います。

見方としてはお勧めなのは、萌え系アニメと同じ心理状態でみます。
記号としてのかわいらしさを見て、記号としての戦いをみて、記号としてのコミュニケーションを見るのです。
それで心地よくみることはできます。

期待していた鬱病になるほどの森の美しさは宣伝文句だったようです。
あれで病気になるのだったら、桜が散るのが悲しいと病気になってしまいます。
3D元年とかいう言葉を信じてはいけませんよ。
パナソニックや映画会社が仕掛けたとっても上手な宣伝ですね。
わたしも高畑勲さんに言われるまで気がつきませんでした。

人にとって必要なモノはもう出そろっているのに
それでも何かを作り出さないといけないのが今の消費社会です。
そこで個人がどう考えて何を選ぶか3Dで映画を見るか、TVを見るのか問われるのはこれからです。
性欲とセットになった新しいメディアは成長するという歴史があるので、エロビデオの世界がのりだしたら伸びるかもしれませんね。

肯定的に語るか否定的に語るかは、どちらも大差がないと最近おもいます。
痘痕(あばた)ですら、大好きな人のものならえくぼなのです。
映画に行って美味しいケーキを食べて、楽しいおしゃべりをして時をすごす。 それが人生というものでしょ。
ぜひ大好きな人と映画に行きましょう。

市民がつくるTVF プレ・イベント

まだ映像を素人が編集して人に見せるなんて、誰も考えていなかった時代に始まった東京ビデオフェスティバル。昨年ビクターの手を離れました。今年からは市民の手で…なんて言っているけど、市民って誰のことっ?!そんな人見たことないよ。
ここのNPOの理事の役職をもらっているくせに、いつものように斜めに見ていたら表彰式の司会の役がまわってきた。
何がコワイってここの審査員しているおじちゃんたちが(失礼!)ひとくせもふたくせもあることなんだよね。
まっとうで誠実でちゃんとモノを作ってきたひとたちだから、慣例のようにとか、考えない適当な言葉を言ったとたん怒られそう。

私は彼らに始めてあったの二十歳のとき、受賞者という立場で壇上に上がった私に「この作品を評価するか大変もめました。私はいいと思ったが、まったくひどい作品だと言う審査員もいた。」と言われたのだ。
私は褒められるとばかり思っていた、まさか表彰式でそんな本当のことを言われるとはゆめゆめ思っていなかった。たしかに今考えるとその意味がわかる。自分の祖母についてのドキュメンタリーで、寝たきりの祖母に対して愛情とも憎しみともとれる視点で撮っている。(はず、過去の作品は見ないことにしている。)
壇上の私は若気の至りでムッとしたが、後に東京ビデオフェスティバルが素晴らしいとわかった。それは他のコンテストなどで表彰式に出てからだった。
作品を決める真剣さ、未来をみつめた姿勢、表彰式でスタッフみんなが作品を見ていて一言伝えたいと思っているコンテストは他にはなかった。その後何回か賞を頂いたが、やはりその真剣さは変わらなかった。

そんなご縁のフェスティバルだけど、私は密かに企んでいることがある。映像を選ぶことに(審査)長けているこのフェスティバルとネットでの映像の評価を結びつけられないかと考えてる。
審査員のみなさんはほぼ全員ネットを信用していない(と思う)。だけど、彼らが夢見てきた「誰もが映像を使って自分を表現し、それをみんなで見る」ことがネットによって更に可能になった。今だからこそ、彼らのエキスをその舞台となる世界にも入れたら面白いと思うわけです。
ネットの映像の評価もまだ定まっていないし、今やるべきだと思うのです。はい。
私は市民という言葉に輝きを感じる世代ではないですが、意図するメッセージは共感できます。
ようは表面ではなく、中身が共感できればいいのです。
それと同じように映像の評価をネット関係者や映像制作者と一緒にディスカッションできる場をつくりたいと思っています。

いや〜そんな事よりも、まずは司会で失言をしないようにしなくては。

市民がつくるTVF プレ・イベント
開催日時:  2010年1月30日(土) 9:30~18:30
会   場:  日本工学院専門学校 蒲田キャンパス デジタルシアター
東京都大田区西蒲田5-23-22

http://www.neec.ac.jp/access/index.html

主   催:  NPO法人市民がつくるTVF
特別協賛:  日本工学院専門学校
協   力:   星の降る里芦別映画学校
西山洋一/三浦菜穂子(ホームページ制作)
いずみ窯(トロフィー・楯制作)

プログラム:
●入賞作品上映会 (開場9:15)
9:30~ 入賞作品15本を一挙上映 (解説:小林はくどう氏)

●発表・表彰式
14:00~ 「優秀作品賞」の発表・表彰
15:00~ 「ビデオ大賞」の発表・作品上映・表彰
●審査委員によるトークフォーラム
16:00~ 審査の過程で話題となった事などが語られます。
出演:羽仁進氏、高畑勲氏、椎名誠氏ほか、(進行:下村健一氏)

○交流会&NPO発足記念会(スエヒロ学食) ※会費制 3,000円程度(当日受付で集めます)
17:15~18:30 作者のみなさんや審査委員との自由な語らいの場です。

http://tvf2010news.sblo.jp/article/34431428.html

映画 スラムドッグ$ミリオネア

ベトナムに旅行に行ってきました。

機中で見た映画「スラムドッグ$ミリオネア」がとても良くて見た後に後悔しました。こんなに良い映画にはめったに巡り合うことができないのに、飛行機のなかの小さな画面と悪い音質で見てしまったことが悔しくなりました。

今月公開なので、また絶対見に行きます。

この映画は脚本もよいが編集が飛び抜けて素晴らしい!

ネタバレするといけないので多くは書きませんが、見るべき映画です。

http://slumdog.gyao.jp/

機内でこの映画の後に見た「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」がスラムドッグに比べ軽く、意図せずハリウッド的映画が終わったことを感じずにはいられませんでした。

子供の情景

今度ワークショップをする関係で子供の情景というアフガニスタンを舞台にした映画とトークを見てきた。
監督をしたのは現在20歳のイラン人の女性。
先日80歳の映像にびっくりしたが今度は若い監督の生意気ぶりにびっくりした。(笑)わたしは彼女の腹のくくれた生意気ぶりに魅了された。
なぜ暴力は続くのか、素朴だけど核心的で心がある言動は彼女を育てた両親が素晴らしいからなのだろう。
彼女はイランで有名な映画一家で映画の英才教育をうけて育ってきたという。
学校教育はあまりうけず、8歳から映画を作ってきたそうだ。

彼女の行動で印象的だったのは子供たちから質問をうけているときに、突然「あなた、今何をおこなわれているかわかりますか?」と小学校2年生の女の子に聞いたことだ。
こういうのはなんとなくタブーとして存在している。わからない子はミソとしてあとでフォローしたりするのだが、彼女は一人の女の子が戸惑っているいることを見過ごせなかった。何を誰のためにやっているのか真剣に考えての行動は愛にみちていた。
彼女がこれからつくる映画が楽しみだ。

http://kodomo.cinemacafe.net/index_pc.html

映画の舞台になっているバーミヤンはいつか行ってみたいところ。
アフガン人に「あなたはバーミヤン出身だ」と冗談を言われたことがあるが、たしかに主人公の女の子は私の小さなころに似ている。
もっと斜に構えた目をしていたが。

相方の日記↓

http://www.sugimototatsuo.com/archives/66

ビデオの祭典

東京ビデオフェスティバルが今年で終了するそうです。

ビクターが31年間続けてきたこの映像の祭典は世界最大級の映像の祭典です。

世界から集まる映像作品はプロからアマまで内容もアニメからドキュメンタリーまで多様です。

ビデオカメラが家庭に入り込む前から始まったこの映像祭は、ビデオで何ができるかという問いとともにはじまったはずです。カメラを持って何をどう撮るか、撮るべきものは何か映像のプロではない人々の挑戦的冒険がはじまった時です。

完成した映像を評価し作り手の人びとをつなげた場としての映像祭です。

私も東京ビデオフェスティバルで何度か賞をいただくことができました。

その賞が私にもたらしたのは、作る勇気とつながりでした。これがなかったらアーティストとしての私は存在しなかったことでしょう。

作るとは何か、メディアを通じたコミュニケーションとは何かねちねちと考える私の土台になっています。(笑)

いま映像は機械の進歩で誰でもが簡単にとれるようになりました。

ケイタイで撮ってすぐにインターネットで公開することも可能になりました。

映像を撮るという行為は人間に何をもたらしたのでしょうか。この長い歴史がこれからの映像社会を作っていくと確信しています。

東京ビデオフェスティバルが終了するには企業としての苦渋の選択があるのでしょう。

しかし今まで続けてきたスタップの方の熱い思いがここまで終わりの日を遠のかせたのだと思います。

ビデオフェスティバルという祭典の終了と同時にひとつの時代が終わります。

映像を撮ること作ることが次の段階に進み始めている、今だからこそ終わることができるのだと思います。

次の冒険はどんなものになるのでしょうか。

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