白一点

女の子の憧れの白い道衣をわたくしもとうとう着ることになりました。ぽっ。

きょう着てみてわかったのが白だと自分の下手さ加減が身にしみてわかることです。

この胸の高鳴りはなんだろうか…と思った2年前の心境でした。もういちど基本からちゃんと見なおそうと思います。

小平古武道会のみなさま、今後ともよろしくお願いします。

美しく長い時間に自分を置く

とても私ごとなんですがアーティストとして美しさをどう捉えていくか、何を見ていくかをいつも考えています。ともすれば誰かの考えた安易な答えが沢山あって、言葉は強く他人の考えも自分の言葉になってしまいます。ここはとても冷徹に自分を観察しなければいけません。

杖道をはじめて二年、昨日で初段になりました。

稽古で何を考えているかというと、何が美しいか、人はどう進化するか、人との心地よい関係は(間合い)なにか。デジタルの世界を考えているときと同じです。

ただ違うのは身体を動かすことと、時間感覚、そして師匠がいることです。

さて美しさとは何でしょうか。

これ!というものはあるのですが、言葉に定着できません。

 

 

 

 

アーティスト仲間であり、杖道の先輩でもある中村さんに写真を撮っていただきました。それがこの写真なんですが、私はこれをみて自分の癖がなおっていないことに愕然としました。立ち姿もまだ未熟です。私の理想の美とは遠い世界です。

素直に自分の未熟さを受け入れて精進したいと思います。

一緒に組んでいただいた同じ道場の中島さんありがとうございました。

そして山口先生、中村さん、藏脩館のみなさま心から感謝しております。今後ともご指導よろしくお願いします。

 

 

名札


こんなに嬉しい名札は小学生以来です。
杖道の名札を作っていただきました。
これで本部道場の稽古にも胸をはって参加できます。

杖道をメディア論的に考えると、簡単にコピーできない情報の保管と伝達が面白いと思っています。
身体という道具と杖という道具の一番合理的な使い方の情報を、人が身体と心と時間をつかい保管し継承します。
DNAと同じで情報は変化しつつも保管されます。

簡単にコピーされ、伝達され、消えるそんな世界にいるからこそ出来ないものに惹かれます。

温かい記録

“道”と名のつくものに人生のなかで出会えたことで、大きく広がっていく心の森。そこで迷子にならないように、道が必要なのかもと思う今日このごろです。

杖道合宿のときの写真をいただきました。
参加者50人に写真をプリントして配る、こういう心配りができる人に私もなりたいと思います。
デジタルデータを扱いなれると、こいうとき冷めた心と仲良しです。

写真は取るたけではなく、つなぐこともできます。


はじめて鎖鎌を教えていただいた瞬間です。
杖道を極めるには早くても30年かかるそうです。何かをつかんだと思うのに20年。先はまだまだ長いです。

私に杖道の扉を開いてくれた中村さん、私に根気よくやさしく丁寧に教えてくださる山口先生。

先生と一緒に杖道を学んだ先生がた、先生を教えてくれた大先生。

武術に型をつくった天真正伝香取神道流の道場でこんな素敵な写真を撮っていただけました。

20年あとにこのサイトやブログが見れるとは思えませんが、頂いた写真を見て懐かしむことがあると思います。

神道夢想流杖道小平古武道会


小平古武道会のみなさんです。会員募集のポスター用に撮影しました。

ポスターをつくりながらこれから始める人が「なぜ杖道をしたいのか」考えてみました。肩こり解消のためでも、健康のためでもないように感じます。まして変わった趣味でもないように思います。

頭に浮かんだのが大先生がおっしゃられていた「人間形成」という言葉でした。なんだかわたしのような初心者が使ってよい言葉に思えなかったので使いませんでした。身体も心もともなわない、ふわふわ浮いた言葉を使えなくなっている自分に嬉しくなりました。

合宿の成果を発見しました。「えぃ」「ほっー」の声が今までより音として自分のなかに響くようになりました。

引提、斜面 、左貫、物見のイメージトレーニングをしています。今日気がついたのは目をつぶっると杖がなくても脳が反応している気がします。

おまえそんなこともしらねえのか?

杖を入れる袋を探して1年、本日とうとう自転車でも運べる袋が完成しました!

私は杖道の一式を妹から譲り受けました。妹からもらった袋は肩からかけられず自転車では稽古に持っていけませんでした。本当は自分の杖で稽古をしないといけないのに、ずっと先生のをかりていました。

今日たまたま見つけた近所の手芸屋さんのおじさんに、袋に紐をつけることができるかと尋ねると。「おまえそんなこともしらねえのか!」眉間にシワをよせて言います。こんなときは素直に「はい、そうなんです。」と答えることにしています。

言葉は不思議です。額面通りにとればバカにされたとか、なにこの人ってことになったりします。私はこういうマニュアル化されない人間が大好きです。説教するってパワーも愛情も必要です。

「それはな〜、これとこれでやるんだよ。わかったか?!」

「わかりません。どうやってつけるんですか?」

「おまえミシンもってないんか?」

「はい」

「最近のわかいもんは・・・、俺の妻の店が洋服屋だから袋をもってそこで聞いてこいよ。」

「は〜い。」おやじさんはもうあきれてニコニコ笑っています。

杖を持っておじさんの妻の店に行くと、にっこりとわらって「聞いてるよ〜。」といろいろ親切に教えてくれます。「これは手縫いだね。こう返し縫いをして。」「あの〜返しぬいってなんでしたっけ?」「これよ〜」ちくちくぬってくれます。「あ〜家庭科で習いました!」

紐と道具を買いにおやじさんの店にもどると「めんどくせえなぁ」と言いながら丁寧にビスを打ってくださって完成しました。縫うのは私には無理だと判断されたみたいです。

作業しながらおじさんといろいろな話をしました。なぜスカートのファスナーは左についているのか、わかいころの仕事について、効率を追う時代について、故郷について、奥さんとの出会いについて。

終わったあとに写真を一緒にとりましょうよ〜と言うと、ちょっと待ってくれといいます。何かとおもったら髪をとかし上着をぬぎました。これでよしと満面の笑みです。でも写真ではこの顔・・・不器用な人なんだな〜。ふふふ。

ネットではこんな面白いコミュニケーションをつかむことはまだできません。人間が進化したり、面白い技術ができて、いつかできるようになるのかな。

刺のある言葉だけど情がある、なんてのを一言で判断できるようになったりするのかな。

認知的杖道

人は複雑な動きがなぜできるのでしょうか?

きのうはじめて神道夢想流杖道の表:鍔割(つばわり)と笠ノ下(かさのした)と____3つ教えていただきました。もう一つは名前を忘れました。一番複雑な動きをするものの名前を記憶しれるとは、さすが私です。

右貫でした。中村さんにツイッターで教えていただきました。

あと鍔割のつばってなんじゃろうな?なんて今思っているのだから初心者というのはこわいものなしです。

私がどうやって記憶しているかというと、重心の移動の流れ(パターン)のようです。重心はエネルギーの動く場所のような感覚です。断面だけだを表すと写真の◯のイメージです。あと上からみた動きもかさなります。

写真に◯をつけてびっくりしたのが、二人の◯の位置が寸分違わず横方向に同じでした。う〜む、おもしろい。

会員募集のポスターをつくることになりました。わたしにとって杖道は動きを技で封じるこんなイメージです。

とは、言っても初心者の私にはまだまだ、美しくに立つこともままなりません。

いま一番できなくて口惜しい思いをしているのは踵を浮かせることです。

これができたら重心などすべてが変わってくるのでとても重要です。

非日常の動きを自分のものとすることは難しいことですね。

長期計画 美しく強く

モノゴトの全体を捉えることは可能なんでしょうか?

肥大化した頭で世界を捉えると万能感があります。そう、何でも把握できちゃうような気がしちゃいます。テクノロジーやネットと仲良しだと余計そう思いこみます。古武道をはじめて自分の浅はかな考えや、単純化された世界の一部になっていた自分を感じます。

週末に杖道の合宿へ参加させていただいてきました。

わたしはいま森の入り口あたりにいます。何かをつかんだと思えるにはあと20年とか30年とかかかるんだろうな。(遠い目)

それまで森なのか山なのかもわからないで、ただ無我夢中に楽しく進めたらいいなぁと思っています。

香取神宮での奉納演舞にも参加させていただきました。

この合宿で一番下手なのは私でした!えっへん。「これはすごいことです」(大先生の口癖)

教えてもらう立場をいちばん楽しめる場所です。

教えてもらった事ができなくて悔しくて、ちょっとできるとものすごく嬉しくなり。でも次の瞬間できなくなって、自分はあほなんじゃないかと落ち込む。息を大きくすって心を律してもういちどやってみる。これの繰り返しです。

おしみなく教えてくださるお師匠さんたちに心から感謝します。杖道をやるみなさんが本当にいい顔をしてるいます。普段はおだやかで笑顔が自然で、見ているだけで幸せな気持ちになります。

今回飯篠さん家の道場を見せていただきました。びっくりするほど小さい部屋です。

ここで300年前から脈々と稽古をしてきた人たちがいらっしゃるのですね。中央で正座されているのが20代目の飯篠さん。やっぱり素敵な笑顔です。

鹿島神宮の鹿さんがじっと私を見ています。

もしや以前どこかでお会いしたのかも。それとも、わたしに何か伝えたいことがあるのでしょうか。

やっぱり見てます。

そうそう、おみくじは「一番大吉」でした。武道の神様のおつげですので、私はこれから強く美しくなります。

答ゑは己の身体が知っている

中村理恵子さんに鏡開きの稽古時の写真をいただく。
びっくりするほどの弱々し自分の姿…。
「本気で切ってきなさい。迫力が大事だよ」組んでくださったおじさまに飲み会の席で諭されました。
人生のなかで迫力がないと言われたのははじめてです。

杖道の何が魅力的なのか、いろいろと答や言葉は用意できるけれど
まだまとまっていません。

いま見えるのはこんな言葉です。

答えは自分が知っている

自分というのは現代の個人主義的な文法ではなく、個は全体の一部で、つながりのなかの自分(己)を言葉とは別の次元で体感できるからだと思います。

合理的な動きのなかに人が人に伝えてきた歴史を感じ、それらは沢山の人々が身体をいれものに伝えてきたものです。
また、その情報を身体に取込んだときに多くの事を判断し考える価値を与えるのが自分です。

失っていた身体性をとりもどしている感覚もあります。

人がつくった価値や、わかりやすさとは別の世界がここにあると感じます。

1年

山羊のユキは1年でこんなに大きくなりました。犬サイズが人間サイズに!
わたくしは…。
いろいろと成長しています。いろいろと…。

1年間杖道をやらさせていただいているにもかかわらず、昨日自分でもビックリするぐらいのアホぶりでした。杖道の本部道場で、体験会以来の稽古(鏡開き)に参加させていただいたのですが、いつもの手順通りでない稽古だったのと急にやりなさいと言われたので動揺して真っ白になってしまいました。(見苦しい言い訳です。)

わたしにはまだ一番大切な“凛とした心と身体”が身に付いていないのだと恥ずかしくなりました。

弱い自分を認めることから、今年ははじまりのようです。
みなさまにご迷惑ばかりおかけしますが、どうぞよろしくお願いします。