さみしさの発見

人はどんなときに寂しいと思うのでしょうか。

わたしはいままであまり寂しさというものを強く感じたことがありませんでした。(祖父母が亡くなったときは別かな)
別れや卒業も、また会えるでしょ〜と楽観的に捉えることができていたし
自分からアクションを起こせば、つながりたいときにつながれるという感覚を持っていました。

私がケータイを持ちはじめたのは2000年だと思います。それまではまわりがケータイを持って「便利なのに〜」と言いながらケータイをにぎりしめて生活するのを見ていました。
なんとなく道具に振り回される姿が美しいとは思えずに固定電話を使っていました。どこでもつながれる世界を少し嫌っていました。

メールアドレスを本格的に使いはじめたの2000年です。いまは3日メールを見ないと不安になります。

昨日とつぜん寂しくなりました。
はじめはその感情の正体がわからずに動揺しました。あわわとなりながら「あっ、これは、寂しいという感情かぁ」と独り言をつぶやいておちついたほどです。

感情がブレたときは、その理由を分析することにしているので歩きながらいろいろと考えてみました。

結論は、同じ場所で同じ人に何度も電話をしていたので、その場所に立ったときにその人に連絡にしたいと思ったことがきっかけでした。
その友達は海外にいるので“いま”連絡できない。ケータイがつながらないのです。

家に帰ればスカイプもメールもできます。

いまつながりたいのに、つながれない。それが寂しさの原因でした。ショックです。
自分自身が熟成するという関係や気持ちと縁遠くなっていることに気がついてしまいました。
ファーストフードやコンビニでご飯をすませることをしないのに、気持ちや考えがインスタントでは…暮らしをもう少し大切にしたいと思う発見でした。

中学時代からの親友がときどき手書きのハガキや手紙を送ってくれます。
それが本当に暖かいんです。
祖父も生前ときどき手紙をくれました。
それを読む時間は大切な時間だったな。

ぶらぶらと散歩したり、自転車に乗ったり車に乗ったり新幹線にのったり。そんな風に関係性にあったスピードを選べるようにしたいな。

さみしくなって、よかった。

“さみしさの発見” への 1 件のフィードバック

  1. 前回のLearning barで宮原さんを知り、その後、
    ブログ記事を拝見させていただいております。

    「さみしさの発見」に大変共感しました。

    中でも、終わりのほうにあった以下の文
    「ぶらぶらと散歩したり、
    自転車に乗ったり車に乗ったり新幹線にのったり。
    そんな風に関係性にあったスピードを選べるようにしたいな。」
    という言葉が、やさしくて心地よかったです。

    私も常々そう思いながら生きています。

    以前私も、同じようにスピードのことを書きました。
    http://kosodateman.blog91.fc2.com/blog-entry-437.html

    生活レベルで、これ以上の速さは不要ですが、
    競技のスピード争いはおもしろいですよね。

    そんなふうに切り分けながら過ごしたい、
    と改めて考えるきっかけとなりました。

    どうもありがとうございました。
    またブログ、楽しみにしています。

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