コミュニケーションとカフェ

先日こんなことがありました。
男友達と珈琲を飲みに行くことになり場所をメールしました。
「高田馬場のニューヨークカフェにいます。」

現れた友達が不満そうに言いました。
「ニューヨークカフェなんていうカフェは高田馬場にはない。ニューヨーカーズカフェの間違いだったよ。」
でもどうやってたどり着いたか聞いてみるとiPhoneで検索したらわかったそうです。
「よかった。よかった…」

検索してみると、ニューヨークカフェと入れても何事もなかったかのように“ニューヨーカーズカフェ”の情報を並べてきます。
グーグル先生やります。

その場はそれから私がしでかした過去のドジにまでいたり…
注意散漫で正確に名詞を覚えられない自分を知られていることが恥ずかしくなりました。

後日女友達に私の説明で混乱することがあるかと聞いてみつつ、その時の話をすると「なんじゃその男!」とお怒りです。
どのあたりに怒りなのかはじめはわかりませんでしたが、そんな小さな間違いを指摘する必要なんてないと言います。なるほど、そういう見方もあるのですね。
ためしに別の女友達にも聞いてみましたが同様の意見でした。優しくないそうです。そういうものなんですね、感覚が麻痺していてわかりませんでした。

少し俯瞰して考えてみると、情報伝達の基本概念が違っていることに気が付きました。

「情報は正確であるべき。」と思っている人と
「情報は解釈の余地をもつものである。」の違いです。

このふたつをコミュニケーションのスタイルがスポーツにおきかえてみると、キャッチボールと砲丸投げぐらいの違いがあります。
そして砲丸投げ型のコミュニケーションを相手に求める傾向にある職業はデザイナー、プログラマー、エンジニアの男性に多いようです。投げ終わったときに何メートルだったのかを正確にはかります。

コンピューターは解釈の余地を、まだ持っていません。それらを扱う仕事の人は思考の基板として正確な情報を無意識に肯定しているのだと思います。
でもあえて言います。みなさんは優秀なデザイナー、プログラマーなのだから、人間が使うことをもっと想定していただきたいと思います。あいまいな情報のやりとり(情報は解釈して使う)には莫大な情報量が含まれています。ピンポインで機械的な情報でないので、情報の受け手と送り手のなかにゆらぎが生まれるからです。
そしてコミュニケーションはゆらぎにより豊かなものになります。

そんなわけで、カフェへご一緒しましょう。

注意:間違っていたのに何言っているんだよ。と思った方は文脈を理解していない方ですよ。おほほ。

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