遊ばされることが苦手です。
人によって作られたものは、いつも舞台の上にあがらされて踊らされている感覚を覚えます。
一緒に踊りたくて踊る日常は来るのでしょうか。
アトラクションの日常
長谷川一(著) 目次
この本は普通の本や論文だと思って読んではいけない本でした。
あとがきに、その旨が説明されていました。
もちろんわたしはドジなので、最後によみました。
わたしには大きくわけて3つのカテゴリーで読めました。
読んだ人によって、このカテゴリーがいかようにもできる本です。
頭のなかで編集していく感じだろうか。
長い時間をかけてひとりの人間の行動や考え方を見た、そしてじっくり話した。そんな本でした。
サービスをしない潔さを理解するまでに、かなりのページ数かかりました。
あとがきは先に読むものですね。
編集者の長谷川さんのことだから「普通、先でしょう。」って言われてしまいそうです。
わたしのカテゴリーはこれです。
1、映画、ディズニーランド分析
2、名古屋人からみた都市論
3、いまを、日常を生きるすすめ
私は2、3のカテゴリーでわけられる部分がとくに共感しました。
ここだけの話、私は名古屋人が嫌いです。
解像度が荒いと感じるからです。特に人間や自然に対して。
長谷川さんが名古屋人だと知ったのは
著者の説明の“名古屋市生まれ”の一文でした。
「うわぁ〜…。」と思い読むべきか悩みました。
名古屋出身と聞いただけで、心のなかで三歩さがることにしています。
長谷川さんの丸いメガネと、笑顔のなかのするどい眼差しを思い出した。
それに先日ごちそうになったポルトガル料理の味も。
この本面白いから読みなと貸してくれた人の顔もちらついてページを開きました。
この本は東京在住の名古屋人による名古屋分析として読むと本当に面白い。
【買い物する】〜【複製する】までは、名古屋の街と人を思い出しながら読みました。
名古屋人による冷静な都市分析本として、まれにみる的確な文章だと感じました。いや違いますね、東京在住の名古屋人の分析ですね。
たしかに名古屋は日常がアトラクション化しています。
街は人を育てる。スーパーマーケットに買い物にいくか、商店街に買い物に行くかそれだけでもちがう。
名古屋はスーパーでの買い物はしやすく、デパートはどの街よりも歩きやすい。しかし、人間関係も消費の対象でしかありません。
他の都市が違うとは言わないが、名古屋が飛び抜けて先に進んでいます。
消費を目的に生きるには最高の街だが、買い物以外行くべき場所がない都市です。
忙しい人、立ち読みで終わらせたい人にお勧めなのは
【夢みる】の章です。
けっして心地よく読める文章ではありません。
しかし、今の私にとって必要な文章でした。
くりかえされる日常をどう捉えるかで人生は違います。
わたしはいまアーティストとしてアトラクション化された日常のなかに入り込んでいき、アートとして存在できるのかを考えています。それに言葉をくれたのがこの本です。
嘆いてもしかたがないのです。極端に偏ってしまった日常をどうやってとりもどすかアーティストとしてできることをやろうと思っています。
この本で、あれ、これ違うじゃないかと思ったのは
「ディズニーランドのばあい、その枠組みとなるのが「映画」なのであり 」のくだりです。
たしかに映画を枠組みとしてディズニーランドは作られたけれども、いまそのアトラクションに染まる人たひが映画を見てからくるのでしょうか。
感覚的にちがうところに移っているように感じます。
キャラクターグッズや、宣伝に出てくるミッキーのほうが 夢の世界をつくっているのではないでしょうか。
もう筋道がなくても夢の世界への道は開かれています。
過去の映画や文化に固執してしまうと、アトラクション化された日常しかしらない世代の先を見失ってしまうように思います。
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