過去と現在と未来の綴り方

伊豆の文房具屋さんに展示してあった謄写版セット(がり版)、もしかして今も売っているのかと思って聞いてみました。「これはね〜蔵の奥にあったから、おもしろいかなぁと思って展示してるんだよ。」歴史のある町の誇りのある笑顔は輝いています。

子どものころに見た懐かしいものに、なぜか魅かれます。教員をやっていた父が学級便りを作る姿に憧れました。これがみんなに届くのか〜すごいな〜、と見た事もない学級便りをよむ人たちを想像しました。それをつくる道具は、がり版、ワープロ、パソコンと道具が変化してゆきました。

いまはガリ版もワープロもう出会うほうが難しいコミュニケーションの道具となってしまいました。

人と人をつなぐものは沢山あります。ケータイ電話、メール、SNS、テレパシー。(嘘が一つあります。)

私は自分が体験しないで批判的であることはあまり好きではありません。ですので、SNSも一通り面白いと思うまでやってみることにしています。便利なこともありますが、もちろん無機的になっていく人のコミュニケーションにさみしくなることもあります。

でもやってみるのです!地球はいつも動いているのですから。

さて、そのSNSをどうやって自分のなかで使い分けているか考えてみました。
漠然とですが、今をtwitterに綴り、未来をFacebookを写して、過去をmixiに残しています。

twitterの価値はいまの共有にあります。地震や気候の変化イベント、気持や時間など今で目の前にいる親しい人にしか伝えなかったようなものの流れです。そういえば、おはようという挨拶やおやすみなさいという挨拶をする人が少なくなりましたね。

Facebookの価値は視覚(写真)にあります。写真情報は言葉ほど限定化して伝えないので、創造的に友達の未来を思い描かせます。

mixiは礼儀正しい入り口や個人のスペースが重視されています。日本人のつくったものなので日本人には使いやすいのですが日本的な村社会でもあります。そのせいか過去の匂いがします。

このテーマは今後も丁寧に分析する必要がありますね。

便利なコミュニケーションの道具を使っている人なのに、こんな顔↑をして使っている人をよく見かけます。日当たりのよい心地よい場所にいるにも関わらず幸せそうに見えません。なぜかな?

人と話したい、わかり合いたい、知り合いと思っているのにも関わらず孤独を深めてしまっては本末転倒です。道具に使われるのではなく、上手につかえるようになりたいなっと思っております。

今夜の夕飯はなんにしようかな〜。きょう作る物食べるものを想像して工夫して食べる。その工夫や美味しさを誰かに、いえあなたに伝えたい。そんなときにはどれを使おうか。

いえいえ、誰にも伝えずに今日のカレーの秘密は私だけの秘め事にしましょう。

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