雪国から伊豆へ

小説というものがどうも苦手ですわ。訳を考えてみると、その世界観にどっぷりとはまることに快感を覚えないのですの。いつまでたっても頭がその世界に留まって気がつくと記憶の一部になるような感覚が嫌なのかもしれませんわ。

そんな無学なわたくしが川端康成を読もうなんて思ったのは、ある人が人間の心の描き方が好きだと言ったからで、勧められたからではないのです。あとは伊豆へ行くのだから「伊豆の踊子」と「雪国」でも、なんて安易な気分でページをめくりはじめました。

雪国の女達の言葉が気に入りましたわ。
「お世話様ですわ」「わたし帰るわ」「あんた私の気持わかる?」
いま使ってもさほどおかしくはないのだけれど、言えない言葉たちですわ。

そう、この「わ」を使う言葉が何か可愛らしくおもうのですわ。

古典なので、わからない部分も多々有ります。これから人生のなかで何度か読み返したときに感じることは違うとはおもうのですが、いま正直に申しますと…。雪国の世界観にはどっぷりはまり楽しみましたが、伊豆の踊子はの良さはわかりません。
本心をこっそり書きますと、おっさんだなぁという感想でございます。
このおっさんというのは性別や年齢を指していうのではありません。
おっさんという思想なのでございます。心当たりのない人はおっさん思想の持ち主です。

哲学や文学や芸術や写真などを愛でるときは、おっさん思想を多少なり持たなくては理解はできないことが多いのです。

若さや移ろう心や儚さを尊いと思うときは、すでにそれらを失っているときなのですわ。

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