- 2010-02-22 (月) 15:33
- アート
先日写真集『極東ホテル』刊行記念トークイベントに行ってきました。
昔、華道家のアトリエだったという古いが味のあるギャラリーには、『極東ホテル』の写真が展示されている。
国籍も違えば年齢も違うのに、どこか同じ顔をした人たちの写真。
前回のスライドショーで見た時、みたくない自分をみせられたような気持ちになって恐れをなして逃げ出した。
今回は空間も開放的なので違う気持ちでみれた。
いまは極東ホテルの住人である自分を、少しうけいれつつあるからかもしれない。
50人弱の人たちがギャラリーのまんなかにひかれたゴザの上と、壁際の椅子に座ってはじまるのを待った。
管啓次郎(作家・翻訳家)と鷲尾和彦(写真家)が出て来て、透明感のある美女がはじめの挨拶をしてトークははじまった。
菅さんは冒頭「きょうは何の打ち合わせもしていません。こういうものはだいたい打ち合わせや終わった後の居酒屋の話が一番面白いからです。」
そう言って話し出された二人の話に会場の誰もが参加している。まるで自分が二人の世界の切りとりかたを憑依し、世界を見ているような気分になった。
ただしけっしてすべてを理解できるわけではない。わかるわけのない話が沢山なのだ。
TVのように誰にでもがわかるつくりというのは、本質を伝えることはできない。今わからなくても、いつかわかればいいのだそんな空気があった。
知らない固有名詞がどんどん出てきた。音楽、詩、作家、写真家、、、ネットで調べたいといいう欲望がうずうずしてきた。
ふと、座っている女の子二人を見ると正座している。それもふたり並んで真剣にメモを取りながら、そうかここは彼女たちにとって寺子屋なんだ。
ここに大学でもネットにもない知があるのか。
もう私はネットで調べたいとも、メモをしようとも思わなくなった。
私にとっては、こどものころ母親や祖母が親戚や近所のおばちゃんとしている話を聞くあれだった。
そこに私の存在はあるが会話も意味もわからない、とにかくずっと聞いていた。
知らない言葉、わからないやりとりは、ある日突然その意味が理解できるようになる。
でも、あの空気を男性が作り出すことができるとは知らなかった。
大きな愛情を持って人に接することができる女性特有の、あの空気だ。
決して振りかえって今話した内容を確認することのない。
永遠の迷子になることが目的かのような話。
終わった後に菅さんの著書「本はよめないものだから心配するな」をもってサインをお願いした。
名前を教えてくださいと言われたので名刺を差し出した。
いま私の手元にある本には私の名前の後に“いつか本はよめる!”と書かれている。
そうそう、清澄白河で人生2回目のもんじゃを頂く。おかみさんの絶妙な監視と愛のもとで。おいしゅうございました。
Comments:0
Trackbacks:0
- Trackback URL for this entry
- http://www.miyabaramika.com/archives/155/trackback
- Listed below are links to weblogs that reference
- 極東ホテルにいます from MIYABARA Mika
