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耐久性といま

国立新美術館で行われてるメディア芸術祭をみてきました。
アート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門がそれぞれ表彰され展示されています。
平日にも関わらず会場は若い人であふれ、作品が出す音で賑わっていました。
数年前には考えられい事だったと思います。恵比寿から六本木に場所が変わって行きやすくなったからなのか、宣伝がうまくなったのか、知名度が上がったのか。理由はよくわかりません。

作品たちは秋葉原のみんなの好きなものを集めてひっくり返したように、分野のしきりがなく人を引き寄せていました。美術館というより遊び場として成功しています。こういう手があったのか参考になりました。

アート部門で言うと、私が作品として魅かれたものが2点ありました。審査員が変わったからなのか、みた後の疲れを感じない作品が多くなった気がします。メディアアートの作品が展示されている会場は、なぜか見終わった後にエネルギーを吸い取られた感覚がのこることが多いのですが、今回はそういうものはあまりありませんでした。

見終わった後に地下にあるショップに行きました。
目的はそこで買った多色ボールペンの替え芯でしたが目的のものはなく、がっかりと店内を見てまわりました。
私はそこで先ほど見てきた作品たちよりも輝いて見えるものを発見しました。
それは雑誌です。
「暮らしの手帖 花森安治 特集」

私は花森さんが誰だかしりませんでしたので、表紙の色をみて花粉対策特集かと思ってしまいました。ふふふ。
なんて無知なんでしょうか。

暮らしの手帖という雑誌が戦後すぐに始まったこと、編集長が花森さんであったこと。(いままで大橋鎮子さんが作った雑誌だと思っていました。)この雑誌の最大の特徴である広告を一切のせない、その哲学の元は何か。立ち読みするにももったいない情報なので購入しました。

まだパラパラとしか読んでいないのに言葉がずっしりと思い雑誌を手に歩いていると、こんな疑問が湧いてきました。

メディア芸術と暮らしの手帖との差はなんだろうか。
もちろん比べる対象ではないことは確かなのですが、そのものがもつ哲学なら比べられるはずです。

地下鉄の長い長いエスカレーターに乗っていると、ふと耐久性と今という言葉が浮かんできました。
コンピューターを使っているから10年後にはみれなくなってしまうという類いの話ではなく、普遍性がそこにどれだけあるか。

メディア芸術祭は今はいまでしかなく、50年後に見たら2010年という過去でしかないと思います。

暮らしの手帖が輝いて見えたのは、今をていねいに見つめることで未来を見つめてきた雑誌だと感じたからでした。

私も暮らしの手帖のような普遍性をもった仕事や作品をしたいと強く思いました。

保存版III 花森安治

http://www.kurashi-no-techo.co.jp/index.php/bessatsu/e_2049.html

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