謹賀新年!

あけましておめでとうございます。

本年もどうぞよろしくお願いします。

 

<宮原美佳の2012年の抱負>

①美味しいご飯を食べる。

②楽しい会話を沢山する。

③いい仕事をさせていただく。

【日常を丁寧に、未来をつくっていく】そんな一年にしたいと思っております。

写真は昭和10年の宮原家の家族写真です。私も父もしらない宮原の歴史です。昨年、父とはじめたFacebookの宮原農園のページづくり、林檎の栽培をはじめたのはこのころだそうです。この写真は大叔母がお嫁に行くまえに全員で撮影したそうです。若くして戦争でなくなった人、病気で亡くなった人、昨年亡くなった大叔父…。身近な歴史です。宮原農園を父と一緒に綴ることは、物語化されていない自分のルーツをパブリックにしながら自ら再構築していくことでした。聞き手を想定したストーリーテリングは父や私を変えただけでなく、私の兄妹の結婚相手にも照れることなく語れる良い機会になっています。そしてFacebookでつながった人にも知っていただけることは大変嬉しいことです。

大切にしたいのは誰かのつくった物語ではなく、自分の目で見、肌で感じ、空気で聞けるものでした。今年も継続されてきた文化や思いを大切に守りつつ、新しい未来を切り開いていきたいと思っております。どうぞご期待ください!

http://www.facebook.com/MyAgriculture

きっとこの2012年のお正月に撮影した家族写真も、私が出会わない未来の誰かが見ることでしょう。そのときはどんなメディアでみるのかな。とりあえずネットにアップして、あとは印刷しておきます!

 

 

 

大晦日


大晦日です。2011年は幸せなことも寂しいことも悲しいことも嬉しいことも、てんこ盛りで記憶に残る年になりました。
多くの人に出会えたり、助けていただいり、支えていただきました。ありがとうございます。心から感謝しています。

みなさま、どうぞよい年をおむかえください。

引越しました。

FacebookとTwitterをやっているとついブログを書くことを疎かにしてしまいます。丁寧にインターネットと付き合うためにも書き続けようと思います。文字数を制限されて書くとどうしても大切なことがぬけて行ってしまいます。
あっ、大切なお知らせがあります。
引越しました。とは行っても東京のなかの移動です。(私の住所が知りたい方がご連絡ください。)
北区→東村山市→新宿区
東京もいろいろな顔を持っている街なので移動すると新しい発見の毎日です。そんなことを綴っていけたらと思っています。

白一点

女の子の憧れの白い道衣をわたくしもとうとう着ることになりました。ぽっ。

きょう着てみてわかったのが白だと自分の下手さ加減が身にしみてわかることです。

この胸の高鳴りはなんだろうか…と思った2年前の心境でした。もういちど基本からちゃんと見なおそうと思います。

小平古武道会のみなさま、今後ともよろしくお願いします。

ある日の授業中のポートレート

授業中に写真をとってFacebookに投稿してもらうようになって3回目。

学生たちの写真の腕がみるみるとあがっていきます。クローズのページなのでコメントなどがおみせできないのが本当にもったいないです。

メディアは道具です。使いこなして、さらされて磨かれていきます。

私、写真をとられてたんだな〜。もちろん被写体は他にいろいろとあります。今回は私が写っている写真だけ選んでみました。いろんな顔の私がいてなんだか嬉しいです。みんなありがとう。

あと私ってこんなに身振り手振りつきで話しているんだ!という発見もありました。

新しい型をつくる

先日、一年前まで市民メディアアドバイザーだった下村健一さんのお話を聞きました。

アドバイザーを辞めた後に霞が関で菅さんの周りにいて、カンフルTVというサイトをつくっていたそうです。まったくしりませんでした。霞が関で働くことは知っていましたが。
http://kanfullblog.kantei.go.jp/2011/04/20110423.html

下村さんは丁寧に一年間やってきたこと、考えたこと、できなかったことなどを交えてカンフルTVを見せてくださいました。わたくし正直言うと政治家への興味の持ち方がわかりません。

TVをみないので、マスコミがどう報道したかにはまったく興味がもてません。関係ない業界の話をされても…強い哲学がなければ面白さがありません。カンフルTVを見て私が知りたいと思ったのは政治をしている人たちです。どんな思いで、どんなちからによって動かされているのか、どんな未来を想像してひとつひとつを決めているのか。そんなことを知りたいとおもいました。

辛辣のようですが、メディアリテラシー業界に大勢いるTV局あがりの人の多くの方は、TVという型しかしません。研究者も実践者も同じです。いまは違う土俵にたっていてもその型が万能だと信じて疑いません。大手メディアのやり方に意義を唱えても未来はつくれないのではないでしょうか。まして、その大きなもののルールでは同じ文脈でしか語られることはありません。

ネットという世界の型は、TV局のそれとは違うやり方があるはずです。根幹に流れているものはどの分野もかわらないはずです。
YouTubeもニコ動も新しい型を作ったので文化が確立されました。

下村さんは霞が関でもうしばらく未来をつくると宣言されたので、わたしはあえて本音をここに書いています。(知人の話をすぐに美談に書く時代もおわりました。というか、終わらせたい。笑)

ぜひ勇気をもって新しい型をつくってください。
TVの型は内側に入ってつくると、どうしてもプロパガンダにみえてしまいます。菅さんの古い友人だからこの視点なんだろうな〜と思うことは良くも悪くもあったと思います。私は数時間で菅さんが好きになりました。それだけの材料を提供されたからです。

 

きょうYouTubeの広告がNHKでした。いままで敵視していた関係が手を組んだのです。価値は視聴率ではなく、響く人動く人にどれだけ情報をとどけられるかの時代になりました。

ネットをみるターゲットに響くやり方は必ずあるはずです。私たちは本当のことを知りたいと思っています。そのままの情報がほしいのです。ぜひ、これからをつくっていく大学生がみたくなるようなものをつくってください。期待しています。


この日アンケート表示にチャートイットを使用させていただきました。ありがとうございました。

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“霞が関の市民メディア”を目指して 菅内閣での映像広報活動体験報告

講師: 下村健一 (内閣審議官、NPO法人市民がつくるTVF理事)

■主   催: NPO法人 市民がつくるTVF

下村さんには、内閣広報と市民ジャーナリズムの意外な共通項、メディアとしての市民ビデオの可能性とその限界、あるいは、原発事故でますます必要性が高まったメディアリテラシー教育などについて、菅内閣での体験を踏まえて生々しく語っていただき、その後、会場の皆さんとフリートークの時間を設けます。

○公式サイト/事務局のお知らせ
http://tvf2010.org/

新しい家族史の綴り方

「はい。どうぞ」わたしたちはいつも小さなバトンを誰かに渡しています。

父と協力してFacebookで宮原農園のページをつくっています。この作業がもしかしたら新しい家族史や会社史になるのではないかと思い始めています。メディアは使ってみると違う側面が見えてきます。

祖父は家族史を書いて親戚や親しい友だちにプレゼントしました。曽祖父はきっと沢山の歴史を口伝してくれたことでしょう。父が家族のためだけに文章を残すとはあまり思えません。深い愛情はもっていますが、とても照れ屋さんです。けれども、いろいろな人にみていただけるという視点が入ることで、照れよりも伝えたいという思いがまさっています。また、小さな文章を日々書くこともハードルを下げています。

祖父の家族史を読むまでは、どの家族もあまり違いがないのだからそんなものに価値があるのだろうか?そんな風に家族史を見ていました。しかし実際祖父の書いた家族史を読み、私が出会ったことがない祖父の兄妹、曾祖父母、父の子供時代、貧しさ、チャレンジ、戦争で亡くなった祖父の兄妹の出生前の日記を知ることができました。まさに新しい時間の感覚を得た瞬間でした。

価値は引き継いで動きや心になります。Facebookの宮原農園で農業の知や技術を公開しながら父を中心に書いていくことが、新しい家族史の書き方として(透明性、写真、アーカイブ)とても良い方法のような気がしていきました。さて、次父はどんなことをかくのでしょうか。楽しみです。

Facebookに投稿したものですが、ここでもご紹介いたします。

<<宮原農園 葡萄栽培の歴史>>
新しいもの好きの初代俊衛(祖父)は、大粒のぶどうがなると巨峰を昭和30年代後半に植えた。が、栽培技術が確立されておらず売り物にならなかった。40年代初め2代目高夫が校長として赴任したのが東部町和(現東御市和)小学校、そこは日本一の巨峰の産地。
PTA会長さんに「りんごよりいい」と巨峰に植え替えを薦められた。石が多く乾燥で木が駄目になり草ぼうぼうのりんご畑1反歩に巨峰を植えた。父が退職した年には収穫できるようになった。真面目で几帳面な性格の高夫は栽培指導書に忠実に栽培した。目を見張るような巨峰を作った。
長野県うまい果物づくり会長賞を頂いた事もある。単価もよく別の畑も巨峰に切り替えた。収穫は、朝5時過ぎから始めた。小中学生の子供達も6時半まで手伝って学校に出掛けた。当時は高級品で1Kgの化粧箱に詰め出荷したので荷造りに時間がかかり夜12時過ぎたことが多かった。

2000年ごろ巨峰は一般化して単価も下がってきた。更に温暖で花振るい(種が入らない、巨峰は種が入らないと大粒にならない、大小混じった親子ぶどうになる)が多くなった。
また種なしぶどうのニーズが高まった。

ぶどうはジベレリンという植物ホルモン剤に花穂を開花時と2週間後に浸けると種なしになる。巨峰は、種なしにすると花振るいの心配がなく大粒になるので、だんだん切り替えることにした。
切り替えに大きな力を発揮したのが3代目パートナー重美さんだ、品種毎濃度を変え、開花時期に合わせジベ処理をする、雨が降るとやり直し空模様相談しながらである。ただ、種なし巨峰は、種ありより味が落ちる、へそが無いので脱粒しやすい欠点がある。種なしの栽培技術を習得し味もほぼ変わりなくなった。
宅配も美味しいと口コミで広がった。巨峰の価格は徐々に下がってきた。3代目が教職退職し就農した頃、新品種、皮まで食べられるナガノパープルが育種され、早速植えた。更に黄色で皮まで食べられるシャインマスカットも発売され、これも植えた。
現在はお客さんの「色々食べだい」というニーズに応えて10品種以上栽培を試みている。これは、初代のDNA?かな。
栽培方法が変わり、棚一面に枝が広がる栽培方からH状に幹が広がる短梢栽培へと変えた。パープルは皮が薄いので実割れになりやす、雨でも割れ、栽培が大変難しい。潅水方法や実の上だけに雨よけビニールを張るなど最新の技術を取り入れ美味しいパープルにしている。
今年は、宅配で種なし4品種詰め合わせで大変好評を得た。ニーズの多様化していると実感した。また、美味しとお客さんがどんどん多くなっていく。もちろん有機肥料、除草剤なし、少農薬で美味しさだけでなく安全安心にも細心の配慮をしていることもお客さんのニーズと感じている。
来年も新しい品種がなり始める。楽しみです。

 

<<宮原農園 林檎栽培の歴史>>

宮原農園は分家にでて3代目です。初代俊衛は米作りと養蚕(おかいこさんを育てまゆをとる)営んでいた。村で一番先に自転車に乗るなど好奇心旺盛な人でした。私の祖父にあたります。昭和の恐慌でまゆが暴落して成り立たなくなったり、おかいこさんの餌を育てる桑畑の中にりんごの木を植え付けました。昭和8年のことです。

村で1、2番の速さだったので「そんなもの植えて」と笑われたと祖父俊衛が言っていました。栽培技術や農薬がなく大変苦労したようです。
終戦後、りんごの需要が高まり価格も高騰し、りんごが我が家の隆盛にたいへん寄与しました。まだ「ふじ」が出る前でゴールデンやスターキング、国光が主な品種のころの話です。
今はないワインサップ、ウィルソンなど外国品種を含め10種以上栽培していました。

ふじが出回り始め早速苗木を植え付けり接ぎ木をしました。ふじが本格的成り始めた頃、2代目父の高夫が教職を定年退職したのでりんご栽培に加わりました。また3代目の私が結婚しパートナー重美も農業に加わりました。

この頃から美味いりんごをめざし栽培方法を変え始めました。
消毒作業は手打ち散布(3人で半日)から自動車型のスピードスプレヤー(1人で1時間)に短縮軽減ができるようになりました。りんごが1円玉位なると紙の袋を掛け害虫や病気を防いで、大きくなると除袋作業もあり、たいへんな作業でした。

またしばらくすると、袋を掛けない無袋栽培を始めました。りんごの色付きは良くないが味は格段に良く美味しくなりました。以前はりんご畑は草が無いように耕されいましたが、草を育て有機肥料とする草生栽培に切り替えました。
草刈りも歩行型の動力草刈機から乗用草刈機へと変えました。
問題の多い除草剤は一切使いません。有機肥料での栽培はより美味しいりんごができることがわかったので化学肥料を使わず、鶏糞を主体にし、稲わら藁を大量に敷くように変えました。

宅配の最初は、親戚に依頼されりんごを送ったのが始まりで、美味しいからと送られた方からの注文が入り、口コミでお客さんが増えていき、いまのような販売方法が確立しました。
今は3代目の私も教職を定年退職し本格的に加わっています。

おかげさまで、りんご栽培を始めて間もなく80年なります。美味く安全なりんごを皆さまにお届けするように家族みんなで助けあい栽培をしております。

 

つみき設計施工社のFacebookデザイン

建築家の河野さんと桃ちゃんを迎えた授業の最終回。Facebook運用デザインの提案です。半分の学生がFacebook登録をしていないところからはじめ提案まで短期間に学生たちも多くを学びました。つみきが家や店舗を作っていくときに大切にしている、共につくるそして心の通コミュニケーションをFacebookでも実現できるような様々な提案がされました。学生たちに拍手です。

河野さんも桃ちゃんも真剣です。そして一晩たつと学生たちが出してくれたアイデアが少しずつ入ったページになりました。このページはつみきと一緒にどんどん進化してゆくとおもいます。乞うご期待です。

つみき設計施工社Facebookページ

人と関わることは社会と関わることです。

ソーシャルベンチャーのつみき設計施工社の今やっていること、コレからやりたいことを考えながらソーシャルメディアの構築ができたことは大学の授業という枠をこえた学びになりました。

河野さん、桃ちゃん、相良さん本当にありがとうございました。

今回も学生たちに授業で一番気になるところを投稿してもらいました。

そしてもうひとつ質問をしてそれも出席がわりにFacebookの授業ページに投稿してもらっています。いま投稿された学生たちの意見を見ながら深く静かに考えています。

ぜひみなさんも一緒に考えてみてください。

Q1:広告は何を売っているのか?

Q2:Facebookの広告はいままので広告と何が違うのか?

Q3:人は一円でも安いものを必ず買うのか?

他の人と同じ投稿をしてはいけないルールです。かなりの難問です。

もちろん正解なんてありません。哲学です。しかし私たちはこれを今考え話し合う時が来ています。いつのころから学生さんたちが大企業のルールで話をするようになりました。それだけでなく街のなかでもそんな声を聞きます。よく耳をすませて聞いてみてください。ふと気がつくと強いものが語る経済を誰でもが口にだしています。自分が弱い立場にいてもです。私は勇気をもって学生たちにこの難問を問いたいと思います。

これからの未来をつくっていくのは彼らです。

ショートメッセージの美学

ケータイは断然Cメール派です。短い文章で的確に意図を伝える。そして短時間ですみます。小さな画面にちまちまと文字を打ち込む行為がじつは好きではありません。とても偏屈かもしれませんが、人がやっていて美しいなぁと感じたことがないからです。本を読む、新聞を読む、音楽を聞く、人は電車のなかで様々な過ごし方をします。楽しそうにしている人を見ると見ている私も嬉しくなります。

ケータイ、iPhone、iPad、どれもなぜか美しくありまん。背筋の問題かな?理由はよくわかりません。新しい技術が大好きな私がなぜ美しいと思えないのかが長年の不思議です。

話はショートメッセージに戻ります。SMS(Short Message Service)が他社間でも使えるようになって沢山の人とやりとりをするようになりました。50文字という文字制限(au 他2社は70文字)があるにも関わらず、ショートメッセージで何通も送ってくる人がいます。それも内容は薄く、最後は「ね。」だけだったりします。そうすると私のなかに、モヤモヤとした感情が生まれます。

手紙にも俳句にも短歌にも美学があります。ショートメッセージにも型があるのだから美学が内在しているはずなのです!

…あまりにも偏屈だと自分でもわかるので、あまり大きな声で言えません。友達が減ります。

自分が日常のなかの無意識に使っている道具にも“美”を持っていることが少し嬉しくなりました。人様に強要したりしませんので、遠慮なさらずにショートメッセージを送ってくださいまし。笑