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MIYABARA Mika

チャートイット@MELL EXPO(東大)

MELL EXPO 2010にチャートitとムービーカードを出展とプレゼンしました。

チャートイットは非公開で何回か使用して大変好評をはくしているものです。今年これを大々的に展開していきたいとおもっています。

みんな意見が言いたい!
インターネットを日常的に使うようになって、私たちのマインドも変化しました。
・読む価値のある文章を瞬時に見分ける。
・スルーする技術を身に付けた。
・ストレートに意見を書くことに抵抗がなくなった。

しかし現実の講演やパネルディスカッションや授業や会議などでは、まだ昔ながらのコミュニケーションしか計られていません。

本当はその場にいる人が意見を伝えられてみんなで共有することができるはずです。そうすることで、はじめて足を運んで参加している価値がでるはずです。
ツイッターやチャットなどのシステムがあるじゃないか、そんな声が聞えてきそうですが。
はたしてそれらを使いこなしている人は全体の何パーセントでしょうか。
もし参加者の80%がそういう方々だったら、それは道具として使うことができると思います。

現実はツイッターがすごいと騒がれていたとしても、使いこなせる人となると少ないとおもいます。

チャートイットは紙に手書きで意見を書きます。
マークシートもあるので、その場での総意をつかむことができます。
手書きの文字には味があります。どんな性格の人なのかなんとなくつかむみながら読みます。

集めたアンケートは高速スキャンで読み込み、すぐに公開されます。

これはその場を動かす司会者だけが見ることができるアンケートとは意味が違います。
その場にいる人全員で参加者の意見の目撃者になります。
そのなかには本質を突いた意見もあるだろうし、的外れなものもあるはずです。
運営者の意見に賛成の人も反対の人の意見も、公平に見ることになります。

目撃者は全員ですが、ひろいあげるのは司会者や登壇者です。集めた意見からまた話を広げて話したり深めたりしながら、また質問したいことが出てきてら質問を参加者にすることで今までにない場が生まれると思います。

きょうは「授業やパネルディスカッションや会議で意見がいえなかったことがありますか?」というアンケートをとってみました。

A.いつも
B.ときどき
C.あまりない
D.ない
E.直接本人に聞く

アンケート結果はAとBがほぼ同数でCとDは0票でした。Eは少数でした。

理由は:はずかしい。質問内容を忘れてしまう。みんなが聞きたいことかわからないからなど様々でした。

みんな意見があってもなかなか聞けないですよね。
大学の授業で使いたいというご意見やパネルディスカッションで使いたいというお声を聞くことができました。
とっても嬉しいです!
これは新しいコミュニケーションの道具として、ぜひみなさんが使えるようにしたいと思います。

アバターもえくぼ

もう話題の中心ではなくなってきてはいますが
「3D元年の幕開け的になった映画」などと言われているアバターを見ようか
迷っているあなた、見るべきです。
ひとりでなく、気さくになんでも話せる友達か恋人か家族と行ってください。
私がおすすめなのは2200円のアイマックスシアターで見ることです。
アバターの3Dの方式は4つあります。
メガネの色で変えるもの、シャッターで変えるもの、偏光で変えるもの。
どのみち大きくてぶかっこうなメガネをかけることはまちがいありません。
アイマックスシアターだと椅子がよくて、音がよいので長時間のこの映画にはおすすめです。

しかし映画の内容は期待して行ってはいけない映画です。
期待しないで見ると私のように映画館でひとりだけ泣くことができます。
どこで泣いたかは恥ずかしいので秘密にいたしとうございます。
となりに座っていたおねいさんたちは、途中でケータイをかぱっと開けました。
もう嫌になってしまったのですね。
ジェットコースターに一度乗ってしまったら降りるわけにいきません。
それと一緒です。映画を途中でやめるという選択肢は、つれがいる場合はないのです。

見終わった後で物語の構造を考えると、ジェームズ・キャメロン監督が日本のアニメをよく研究していることがわかります。
特に宮崎駿監督ものはお好きだということがよくわかります。
ナウシカやもののけ姫などはスタッフ全員が研究したのでしょう。
沢山のハリウッド映画のオマージュでもあります。
寿司とハンバーグとみそ汁とニンニクレタスチャーハンが一皿にもりつけられた映画に
何も伝えるべきものがないことは誰でもわかると思います。

見方としてはお勧めなのは、萌え系アニメと同じ心理状態でみます。
記号としてのかわいらしさを見て、記号としての戦いをみて、記号としてのコミュニケーションを見るのです。
それで心地よくみることはできます。

期待していた鬱病になるほどの森の美しさは宣伝文句だったようです。
あれで病気になるのだったら、桜が散るのが悲しいと病気になってしまいます。
3D元年とかいう言葉を信じてはいけませんよ。
パナソニックや映画会社が仕掛けたとっても上手な宣伝ですね。
わたしも高畑勲さんに言われるまで気がつきませんでした。

人にとって必要なモノはもう出そろっているのに
それでも何かを作り出さないといけないのが今の消費社会です。
そこで個人がどう考えて何を選ぶか3Dで映画を見るか、TVを見るのか問われるのはこれからです。
性欲とセットになった新しいメディアは成長するという歴史があるので、エロビデオの世界がのりだしたら伸びるかもしれませんね。

肯定的に語るか否定的に語るかは、どちらも大差がないと最近おもいます。
痘痕(あばた)ですら、大好きな人のものならえくぼなのです。
映画に行って美味しいケーキを食べて、楽しいおしゃべりをして時をすごす。 それが人生というものでしょ。
ぜひ大好きな人と映画に行きましょう。

編集する

クロアチアで取材をうけたものが記事になっている。
こういうものは嬉しいけれど、少し悔しい。
どうして自分でこういう風に自分を編集できないのだろうか。
日本人が取材した文章や写真はまったくそう思わないから、自分の視点からより遠いことが羨ましいだけなんだろうか。

http://www.lomodeedee.com/2010/02/22/interview-with-mika-miyabara-tatsuo-sugimoto-bouncing-pixels-and-images/

わたしは言葉が苦手だ。
クロアチアのことを思い出せるのも砂利道の音と川沿いのやさしい風と草の匂いとイカ墨のリゾットの味などだ。
もしそんなものが言葉にたよらずに保存できたらと思うが、写真もビデオも助けにしかならない。
小さな幸福は誰とも共有できないから永遠に自分のものなのかもしれない。

極東ホテルにいます

先日写真集『極東ホテル』刊行記念トークイベントに行ってきました。
昔、華道家のアトリエだったという古いが味のあるギャラリーには、『極東ホテル』の写真が展示されている。
国籍も違えば年齢も違うのに、どこか同じ顔をした人たちの写真。
前回のスライドショーで見た時、みたくない自分をみせられたような気持ちになって恐れをなして逃げ出した。

今回は空間も開放的なので違う気持ちでみれた。

いまは極東ホテルの住人である自分を、少しうけいれつつあるからかもしれない。

50人弱の人たちがギャラリーのまんなかにひかれたゴザの上と、壁際の椅子に座ってはじまるのを待った。
管啓次郎(作家・翻訳家)と鷲尾和彦(写真家)が出て来て、透明感のある美女がはじめの挨拶をしてトークははじまった。

菅さんは冒頭「きょうは何の打ち合わせもしていません。こういうものはだいたい打ち合わせや終わった後の居酒屋の話が一番面白いからです。」
そう言って話し出された二人の話に会場の誰もが参加している。まるで自分が二人の世界の切りとりかたを憑依し、世界を見ているような気分になった。

ただしけっしてすべてを理解できるわけではない。わかるわけのない話が沢山なのだ。
TVのように誰にでもがわかるつくりというのは、本質を伝えることはできない。今わからなくても、いつかわかればいいのだそんな空気があった。

知らない固有名詞がどんどん出てきた。音楽、詩、作家、写真家、、、ネットで調べたいといいう欲望がうずうずしてきた。
ふと、座っている女の子二人を見ると正座している。それもふたり並んで真剣にメモを取りながら、そうかここは彼女たちにとって寺子屋なんだ。
ここに大学でもネットにもない知があるのか。
もう私はネットで調べたいとも、メモをしようとも思わなくなった。

私にとっては、こどものころ母親や祖母が親戚や近所のおばちゃんとしている話を聞くあれだった。
そこに私の存在はあるが会話も意味もわからない、とにかくずっと聞いていた。
知らない言葉、わからないやりとりは、ある日突然その意味が理解できるようになる。

でも、あの空気を男性が作り出すことができるとは知らなかった。
大きな愛情を持って人に接することができる女性特有の、あの空気だ。

決して振りかえって今話した内容を確認することのない。
永遠の迷子になることが目的かのような話。

終わった後に菅さんの著書「本はよめないものだから心配するな」をもってサインをお願いした。
名前を教えてくださいと言われたので名刺を差し出した。
いま私の手元にある本には私の名前の後に“いつか本はよめる!”と書かれている。

そうそう、清澄白河で人生2回目のもんじゃを頂く。おかみさんの絶妙な監視と愛のもとで。おいしゅうございました。

一本目 着杖

「なんて美しいの…。」
自分が体を動かしてそう思ったのは始めての体験でした。
この無駄のなさ、合理性、しなやかで力強い動き。
できるまではその世界の住人ではなかったのに、その動きが身体に入ってきたときに急にすべてを理解する。
杖道をはじめて3ヶ月の私が得たものは自分の身体を見る感覚だ。
身体を見るとは鏡を通して見るわけではない、先生の動きを見て自分を見る。何が違うかは自分ではまだわからない。先生に言われて動かしてみて、やっとわかるのだ。

<一本目 着杖>
正面に切りかかる太刀を、体を右斜め後方にかわして左甲手を打ち、相手が上段にかまえるスキをとらえ、本手打ちで甲手を追い討ちする技である。
杖道の本にはそう書いてあります。
文字はなんて歯がゆい道具なんだろうか。
では映像では。
watch?v=nw4zWCCbNj4

いやいや、やってみないとわからないんですよ。
こんな簡単そうに見えることなのに、一歩も動けない自分にがく然とするから、動けた時に世界は変わって見えます。

これって、全てのことに通じる感覚なのではないだろうか。
杖道に出会えてよかった。

必要なものは美しい

いまの時代必要なものが何か考えるのは難しい。
しかし、いまの私は以前よりすばやくそれが何か答えることができる。
物質的にも精神的にも、ここ半年で沢山のものを捨てたし、ふときがつくと自分のものでなくなっていたものも多い。
手元になくなってだいぶたってから、あれは失敗だった…というものは数が少ないがある。
その一つが暮らしの手帖の古本で、電話のかけかたやマナーが書かれた号だ。
なんだか大切なことが書かれていた記憶があるけど、それを確かめるすべがないというのは苦しい。暮らしの手帖の花森安治特集を読んでいてふと、そんな思いにとりつかれた。

しかし、私に本当に必要なものならばもう一度出会いがあると思う。
必要なものは“無い”という状態からしか得ることができないのだろうか。

耐久性といま

国立新美術館で行われてるメディア芸術祭をみてきました。
アート部門、エンターテインメント部門、アニメーション部門、マンガ部門がそれぞれ表彰され展示されています。
平日にも関わらず会場は若い人であふれ、作品が出す音で賑わっていました。
数年前には考えられい事だったと思います。恵比寿から六本木に場所が変わって行きやすくなったからなのか、宣伝がうまくなったのか、知名度が上がったのか。理由はよくわかりません。

作品たちは秋葉原のみんなの好きなものを集めてひっくり返したように、分野のしきりがなく人を引き寄せていました。美術館というより遊び場として成功しています。こういう手があったのか参考になりました。

アート部門で言うと、私が作品として魅かれたものが2点ありました。審査員が変わったからなのか、みた後の疲れを感じない作品が多くなった気がします。メディアアートの作品が展示されている会場は、なぜか見終わった後にエネルギーを吸い取られた感覚がのこることが多いのですが、今回はそういうものはあまりありませんでした。

見終わった後に地下にあるショップに行きました。
目的はそこで買った多色ボールペンの替え芯でしたが目的のものはなく、がっかりと店内を見てまわりました。
私はそこで先ほど見てきた作品たちよりも輝いて見えるものを発見しました。
それは雑誌です。
「暮らしの手帖 花森安治 特集」

私は花森さんが誰だかしりませんでしたので、表紙の色をみて花粉対策特集かと思ってしまいました。ふふふ。
なんて無知なんでしょうか。

暮らしの手帖という雑誌が戦後すぐに始まったこと、編集長が花森さんであったこと。(いままで大橋鎮子さんが作った雑誌だと思っていました。)この雑誌の最大の特徴である広告を一切のせない、その哲学の元は何か。立ち読みするにももったいない情報なので購入しました。

まだパラパラとしか読んでいないのに言葉がずっしりと思い雑誌を手に歩いていると、こんな疑問が湧いてきました。

メディア芸術と暮らしの手帖との差はなんだろうか。
もちろん比べる対象ではないことは確かなのですが、そのものがもつ哲学なら比べられるはずです。

地下鉄の長い長いエスカレーターに乗っていると、ふと耐久性と今という言葉が浮かんできました。
コンピューターを使っているから10年後にはみれなくなってしまうという類いの話ではなく、普遍性がそこにどれだけあるか。

メディア芸術祭は今はいまでしかなく、50年後に見たら2010年という過去でしかないと思います。

暮らしの手帖が輝いて見えたのは、今をていねいに見つめることで未来を見つめてきた雑誌だと感じたからでした。

私も暮らしの手帖のような普遍性をもった仕事や作品をしたいと強く思いました。

保存版III 花森安治

http://www.kurashi-no-techo.co.jp/index.php/bessatsu/e_2049.html

くらげになろう

わたしがあなたに魅かれるのは、流れに身をまかせられる強さを持っているからです。

世界をそのまま受け入れて、海と空の区別もないかのように漂える
あなたからは私がどのように見えますか。

気がついたらクラゲになっている、なんてことはあるのでしょうか。
空と海をわけないように、良いとか悪いとかわけなかったら
流れに身をゆだねて漂えるのでしょうか。

鷲尾和彦さんと高畑勲さんの責任

二人は似た匂いがする作家だ。
鷲尾さんは写真家だし高畑さんはアニメーション映画監督、媒体は違うけれど。現実を現実以上の迫力を持って提示してくる。
人が好きで、傷つきやすくシャイである。
昨夜青山ブックセンターで行われた鷲尾さんのスライドショーとトークに行ってきた。鷲尾さんの写真は好きなので本の発売を心待ちにしていた。
昨夜は購入してサインをしてもらうつもりで来たのに、何も買わずに原宿駅までの華やかな街を早足で駆け抜けた。
今の私は作品を受け入れられなかった。
「見たくない現実を目の前におかないでくれ。」そう叫びたくなったのだ。

高畑さんの作品の「火垂るの墓」も「赤毛のアン」も見たくない時期があった。自分で見ないようにしている自分自身を、むき出しで提示してくるのに絶えられなかった。でもまたある時ふと見たら私に寄り添ってきた。見たくなかった自分一部を自分が受け入れられ愛おしくなっていたことに気がついたのだ。それは家族や死や憎しみや女性らしさや、弱さや優しさだった。

先日高畑さんとお会いしたときに「新学期・操行ゼロ」という映画をお薦めしていただいた。無知な私はsoukouzeroが何語か解らなかった。その前にフランス映画の話や1930年代のロシアの歌の話なんかをしていたので外国語だと思い込んだのだ。「書いてください。」と恥ずかしげもなく名刺に書き込んでもらった。
戦前の学校での評価が操行10とか0だったそうだ。操行0は最低の評価のことだそうだ。きっとわたしも操行0なんだろうな。中学校の担任に3年間「継続は力なり」と書かれたぐらいだから。

極東ホテルに写っている空ろな目をした旅人たちと、同じ目の自分を受け入れる時がきたとき鷲尾さんにサインをしてもらおうと思う。
作品を発表するということは重い責任が伴う、とこれを書いていた思った。
昨日は両サイドで大学生ぐらいの男の子がひたすらメモを取っていた。彼らが今何に共感し、時間をへたときにどう感じるか。
そんな途方もない気持ちのゆれを追うことは、なかなかできない。

好きとか嫌いとか簡単に言ってしまえることではなく、見たものが血になっていく。

雪が降ると東京が脅えている。

http://washiokazuhiko.jp/

http://www.amazon.co.jp/極東ホテル-鷲尾-和彦/dp/4903545520

市民がつくるTVF プレ・イベント

まだ映像を素人が編集して人に見せるなんて、誰も考えていなかった時代に始まった東京ビデオフェスティバル。昨年ビクターの手を離れました。今年からは市民の手で…なんて言っているけど、市民って誰のことっ?!そんな人見たことないよ。
ここのNPOの理事の役職をもらっているくせに、いつものように斜めに見ていたら表彰式の司会の役がまわってきた。
何がコワイってここの審査員しているおじちゃんたちが(失礼!)ひとくせもふたくせもあることなんだよね。
まっとうで誠実でちゃんとモノを作ってきたひとたちだから、慣例のようにとか、考えない適当な言葉を言ったとたん怒られそう。

私は彼らに始めてあったの二十歳のとき、受賞者という立場で壇上に上がった私に「この作品を評価するか大変もめました。私はいいと思ったが、まったくひどい作品だと言う審査員もいた。」と言われたのだ。
私は褒められるとばかり思っていた、まさか表彰式でそんな本当のことを言われるとはゆめゆめ思っていなかった。たしかに今考えるとその意味がわかる。自分の祖母についてのドキュメンタリーで、寝たきりの祖母に対して愛情とも憎しみともとれる視点で撮っている。(はず、過去の作品は見ないことにしている。)
壇上の私は若気の至りでムッとしたが、後に東京ビデオフェスティバルが素晴らしいとわかった。それは他のコンテストなどで表彰式に出てからだった。
作品を決める真剣さ、未来をみつめた姿勢、表彰式でスタッフみんなが作品を見ていて一言伝えたいと思っているコンテストは他にはなかった。その後何回か賞を頂いたが、やはりその真剣さは変わらなかった。

そんなご縁のフェスティバルだけど、私は密かに企んでいることがある。映像を選ぶことに(審査)長けているこのフェスティバルとネットでの映像の評価を結びつけられないかと考えてる。
審査員のみなさんはほぼ全員ネットを信用していない(と思う)。だけど、彼らが夢見てきた「誰もが映像を使って自分を表現し、それをみんなで見る」ことがネットによって更に可能になった。今だからこそ、彼らのエキスをその舞台となる世界にも入れたら面白いと思うわけです。
ネットの映像の評価もまだ定まっていないし、今やるべきだと思うのです。はい。
私は市民という言葉に輝きを感じる世代ではないですが、意図するメッセージは共感できます。
ようは表面ではなく、中身が共感できればいいのです。
それと同じように映像の評価をネット関係者や映像制作者と一緒にディスカッションできる場をつくりたいと思っています。

いや〜そんな事よりも、まずは司会で失言をしないようにしなくては。

市民がつくるTVF プレ・イベント
開催日時:  2010年1月30日(土) 9:30~18:30
会   場:  日本工学院専門学校 蒲田キャンパス デジタルシアター
東京都大田区西蒲田5-23-22

http://www.neec.ac.jp/access/index.html

主   催:  NPO法人市民がつくるTVF
特別協賛:  日本工学院専門学校
協   力:   星の降る里芦別映画学校
西山洋一/三浦菜穂子(ホームページ制作)
いずみ窯(トロフィー・楯制作)

プログラム:
●入賞作品上映会 (開場9:15)
9:30~ 入賞作品15本を一挙上映 (解説:小林はくどう氏)

●発表・表彰式
14:00~ 「優秀作品賞」の発表・表彰
15:00~ 「ビデオ大賞」の発表・作品上映・表彰
●審査委員によるトークフォーラム
16:00~ 審査の過程で話題となった事などが語られます。
出演:羽仁進氏、高畑勲氏、椎名誠氏ほか、(進行:下村健一氏)

○交流会&NPO発足記念会(スエヒロ学食) ※会費制 3,000円程度(当日受付で集めます)
17:15~18:30 作者のみなさんや審査委員との自由な語らいの場です。

http://tvf2010news.sblo.jp/article/34431428.html

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