MIYABARA Mika
映画 スラムドッグ$ミリオネア
- 2009-04-06 (月)
- 未分類
ベトナムに旅行に行ってきました。
機中で見た映画「スラムドッグ$ミリオネア」がとても良くて見た後に後悔しました。こんなに良い映画にはめったに巡り合うことができないのに、飛行機のなかの小さな画面と悪い音質で見てしまったことが悔しくなりました。
今月公開なので、また絶対見に行きます。
この映画は脚本もよいが編集が飛び抜けて素晴らしい!
ネタバレするといけないので多くは書きませんが、見るべき映画です。
機内でこの映画の後に見た「ベンジャミン・バトン 数奇な人生」がスラムドッグに比べ軽く、意図せずハリウッド的映画が終わったことを感じずにはいられませんでした。
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子供の情景
- 2009-03-07 (土)
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今度ワークショップをする関係で子供の情景というアフガニスタンを舞台にした映画とトークを見てきた。
監督をしたのは現在20歳のイラン人の女性。
先日80歳の映像にびっくりしたが今度は若い監督の生意気ぶりにびっくりした。(笑)わたしは彼女の腹のくくれた生意気ぶりに魅了された。
なぜ暴力は続くのか、素朴だけど核心的で心がある言動は彼女を育てた両親が素晴らしいからなのだろう。
彼女はイランで有名な映画一家で映画の英才教育をうけて育ってきたという。
学校教育はあまりうけず、8歳から映画を作ってきたそうだ。
彼女の行動で印象的だったのは子供たちから質問をうけているときに、突然「あなた、今何をおこなわれているかわかりますか?」と小学校2年生の女の子に聞いたことだ。
こういうのはなんとなくタブーとして存在している。わからない子はミソとしてあとでフォローしたりするのだが、彼女は一人の女の子が戸惑っているいることを見過ごせなかった。何を誰のためにやっているのか真剣に考えての行動は愛にみちていた。
彼女がこれからつくる映画が楽しみだ。
http://kodomo.cinemacafe.net/index_pc.html
映画の舞台になっているバーミヤンはいつか行ってみたいところ。
アフガン人に「あなたはバーミヤン出身だ」と冗談を言われたことがあるが、たしかに主人公の女の子は私の小さなころに似ている。
もっと斜に構えた目をしていたが。
相方の日記↓
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ネズミと消費社会
- 2009-02-16 (月)
- 未分類
子供の頃、ねずみは害獣であり汚い存在だった。農家にとってネズミは収穫物をあらす悪い存在なのだ。
そのネズミが服を着たりリボンをつけたりしているものが、可愛い存在であると知ったときは異様な気がした。級友たちの服や筆箱にそのネズミは笑っていた。
しばらくすると母がそのネズミのキャラクターが沢山いる遊園地に連れていってくれるという。4人兄妹で上二人はすでに旅行を沢山経験しているが、下二人は旅行の記憶があまりなかったのがその旅行の動機だったと思う。
妹とおそろいの赤いワンピースを着て出かけた楽園には、大きなネズミの入れ物に入った人間が奇妙で大きな動きをしていた。作られた偽物の都市は丸みをおびて祭り気分は人を日常と違う行動を促していた。長い列に並ぶのだのだ何時間も。そして体験できるのは猛スピードの乗り物だったり、機械的な動きをする人形のいる奇妙な世界だった。いつも狂いそうなほど楽観的な音楽が流れていた。夢の国は私が持っている絵本のなかの色彩とは違った。
ここで妹と私はどのように振る舞ってよいのかわからずオドオドしていたから、大きな口の犬のぬいぐるみと写真を撮ったときも強ばった顔をしている。
連れてきてくれた母のために精いっぱいはしゃいで喜んだ。
この作られた街で一番関心したのは、ゴミが落ちていないことだった。
捨てられたゴミは素敵な制服を着た笑顔の若いお兄さんがさっと何事もなかったように所作も美しく拾っていく。
ここが夢の国かもしれない。毎日トイレ掃除をしないと学校に行けない厳しい教育方針とは遠い世界がここだと感じた。みんなやさしくよいことをしたくなるようなこの空間で、どう振る舞えばよいのかをやっと理解したのは帰り際だった。ここはときどき母につれられていく宗教団体と同じ空間ではないかと思いながら踊る行列を見ていた。
帰りのバスで私は酔ってゲーゲー吐いた。千葉から長野なんて今考えるとそう遠くはなかったが、そのときの私は遠くに行くと恐ろしい試練があるように感じていし、もう同級生を羨んで旅行に行ってみたいなんて親に言うことはなかった。
翌日、友達に「私東京デズニーランド行ってきたんだ。たのしかったよ。」とネズミが描かれたクッキーを渡した。そのときからネズミはミッキーマウスという別名をもった。
そうそう、東京ディズニーランドだと知ったのは大学時代のバイト先である。
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ビデオの祭典
- 2009-02-15 (日)
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東京ビデオフェスティバルが今年で終了するそうです。
ビクターが31年間続けてきたこの映像の祭典は世界最大級の映像の祭典です。
世界から集まる映像作品はプロからアマまで内容もアニメからドキュメンタリーまで多様です。
ビデオカメラが家庭に入り込む前から始まったこの映像祭は、ビデオで何ができるかという問いとともにはじまったはずです。カメラを持って何をどう撮るか、撮るべきものは何か映像のプロではない人々の挑戦的冒険がはじまった時です。
完成した映像を評価し作り手の人びとをつなげた場としての映像祭です。
私も東京ビデオフェスティバルで何度か賞をいただくことができました。
その賞が私にもたらしたのは、作る勇気とつながりでした。これがなかったらアーティストとしての私は存在しなかったことでしょう。
作るとは何か、メディアを通じたコミュニケーションとは何かねちねちと考える私の土台になっています。(笑)
いま映像は機械の進歩で誰でもが簡単にとれるようになりました。
ケイタイで撮ってすぐにインターネットで公開することも可能になりました。
映像を撮るという行為は人間に何をもたらしたのでしょうか。この長い歴史がこれからの映像社会を作っていくと確信しています。
東京ビデオフェスティバルが終了するには企業としての苦渋の選択があるのでしょう。
しかし今まで続けてきたスタップの方の熱い思いがここまで終わりの日を遠のかせたのだと思います。
ビデオフェスティバルという祭典の終了と同時にひとつの時代が終わります。
映像を撮ること作ることが次の段階に進み始めている、今だからこそ終わることができるのだと思います。
次の冒険はどんなものになるのでしょうか。
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imagine
- 2008-05-16 (金)
- 未分類
「想像してごらん」とジョンレノンが歌って多くの人が共感しているが、想像することは容易くない。
また想像させてくれる機会は、どんどん減っている。
ムービーカードをなぜ作ったのか良く聞かれ、そのたびに適当にお答えしていますが
本当は想像力とコミュニケーションの楽しさを知る場をつくることで、アーティストとして社会に貢献したいと思っているのです。
アートの語源は技術です。
想像するには技術が必要だと思うのです。
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